2014年4月30日水曜日

青春の処女性

スプリング・ブレイカーズ

絶対に見るもんかと思っていたのに、見てしまった。
冒頭からまるで白昼夢、薄暗い夜の学校、飢える女たち、
ビーチで下品に酒を飲み、酒を浴び、酒をカンジ
彼女らは四六時中挿入を夢見る。ヤクをする。胸をさらす。キスをする。
でも挿入はしない。マネだけ。笑い、遊び、感傷にふけ、人を脅し、拳銃を向ける。逮捕され、歌い、叫び、変な声で変なことを言う。

無性にざわざわする。ネオンに血は映えない。言葉に本性は現れない。
人生のほんのひとときの間だけ意味のないことをやりまくる。ここが私たちの本当の居場所。何度もことばがリピートされる。でも挿入はしない。射精もしない。
すべてはプールの水のように清潔、で水色。
ある種純真な欲望。ゆめのよう


ジャック・スミス





ジャック・スミスとアトランティスの崩壊
本当のウォーホル、アバンギャルドの帝王、彼は言う自分がやっているはバロックアートであると、アメリカは本当の美を求めていない、本当に美を求めるのなら、美術館にもっと面白いものを置き、午前4時まで開館させるべきだ。なぜならアートは自由であるべきだから。のちにフェリーニが魂のジュリエッタ、サテュリコンで開花させた色彩の祭典とも言えるあの世界を生み出す上で大きく影響を受けた。そしてピンクフラミンゴをはじめとする、ゲ映画に受け継がれていった。
それがジャック・スミスの理想郷一つを起源とし、それはABBAと合流されることで確かなジャンルを築き上げた。その華やかさのうらには勿論生みの苦しみと表現するには大きすぎる一人の純粋なアーティストとしての苦しみの人生があった。それは母親の愛情の欠如から端を発し、自身のホモセクシャル、インポテンツがあげられる。しかし生来の才能は彼に写真をあたえ、そしてフィルムにそれを結実させる。パレットをそのまま目の周りに押し付けたようなメイク、まるで一つの雑貨屋を体に引っ付けたようなファッション、過剰なまでの性器への執着はむしろ、それを無い物とするかのようだ。性もひとつの時代が押し付ける社会制度であるというように。それは暴力で貶められるものではなく、見せかけというだけで、純粋な感情を汚すまいと何かを守るように、悶えているようだ。とくにジョナス・メカスは彼をいち早く評価するものの彼が逮捕された時に作品の権利を奪った?としてロブスターと憎しみをかっている。そして、ウォーホルも彼の作品に多大な影響を受けるのに派閥の長として資本主義の奴隷として切り捨てられる。ジャックは孤立し、毎日クラッカー一枚とチーズでしのいだという。誰も助けず、彼はエイズに感染して死ぬのがかっこいいとして、ゲイ映画館に通いつめ感染した。入院生活を一日三食食べられるなんて天国のようだと形容している。エンドロールが始まっても彼はそれを遮って自分の終わりを否定する。暖かい拍手がパークタワー映画館を包んだ。これで映画館で聞く拍手は3度目になる。きっとエンドロールを待たずして席を立って背中にしてしまった拍手もあっただろう。でもあの拍手は祝福のようで、出会えてよかった。


2014年4月27日日曜日

ひとりと重力

ゼロ・グラビティ
主人公一人、登場人物二人、死体役と声出演入れても十人と満たない人の少なさで描く宇宙。エイリアンのコピー“宇宙ではあなたの悲鳴は聞こえない”をさらに昇華させたような作品かなとも思ったが、いやあの人をアップで添えての世界の回転はマイケル・スノウを感じさせる。世界を大きくまわし、揺さぶった時の変形は世界を素粒子に分解してかつ、再構成を試みるかのような化学的映像は光を通してそんな世界の軟弱さを魅せているのだ。
dammit!って言いながら引っ張られてストーン博士が、小さいカプセルの中にまるで母親の胎内のように丸くなって回っていくのが、ああ幸せだなと感じた。赤ちゃんは宇宙から来るのかもしれない。一人漂いながらガンジス川の日の出を見たい。隕石のように炎をあげながら地球の表面を突っ切って墜ちてきたものはまた宙を見て帰りたいと思う。一人と宇宙の競演は孤独という充実を教えてくれる。そしてまた生きて行こうと思う。