2014年5月5日月曜日

ジンジャーの朝





髪の毛と光がきれい。
ネタバレですが、単にジンジャーという女の子の世界への開眼と父親と親友の喪失を描いています。70年代のイングランドの雰囲気が感じられます。ジュークボックスっていいなー
ジンジャーはかなり変な家庭に生まれた子で、母親は20代の画家志望だったつけまと巨乳が目に付くビッチで、その夫も社会主義かなんかで投獄経験のある心に傷を負った!ただのばかやろーで、その周りに色んなゲイの教授やら同じく教授の叔母さんがいて、ジンジャーは核兵器が世界滅亡につながるかもしれないという事実を知ってから反戦運動家になろうと集会に通ったりします。そのジンジャーの親友がこれまた反体制、じゃなくて反抗期を絵に描いたような不良娘ローザなんだが、ジンジャーとは同じ時間に生まれたかなんかで仲がいい。毎日とりあえずムラムラしてしょうがないっていうビッチ、でこいつがジンジャーの父のローランドとスリープウィズしてしまうわけだ。しかも、ジンジャーが寝てる横の部屋で音をかすかに漏らしながら!ジンジャーは自分の日々の気持ちをしに書くので大概夜は起きてる。ローランドは本当の愛を見つけると…っとか言ってかなり本気に、そしてローザも私は彼の痛みを癒すことが出来ると思うなんてほざく。ローランドは自分は社会からの圧迫にいつも傷ついてきた。そして、そして、最後ジンジャーはこれをみんなの前で告白することになる。ローザが妊娠したからだ。そして母親はオーバードーズで自殺。病院のベンチで例のポエムに書きつける。ローザは許しを乞うたのだから母親が目覚めたら許そう。ジンジャーは大人へと成長。めでたし。
こうやって話だけ書くと怒りが倍増する。くだらん人間という一面は生まれたらなかなか払拭は難しい。そいつがアウトサイダーで世間体を敵とするやつだったらなおさらで。
大人になるためにジンジャーのように許さなければならないのか。

神様はつらい

イメージフォーラム・フェスティバル日曜日、晴れ、大盛況
時間を間違えて普通に行ったら、もう始まってた。最後の一席、一番後ろの端席。
原作はストルガツキー兄弟、監督はアレクセイ・ゲルマン、遺作
制作に15年費やし、2013年彼の死後直後完成。
中世暗黒時代で進化を止めた惑星アルカナルに地球から科学者が観察のために派遣される。大量殺戮を傍観する。嘔吐、臓物、汚泥のぐちょべちょな世界。という設定を何も知らずに見た。つねにプシュープシューって蒸気の音や、ぐしょぐしょっていう泥の音、臓物の流れる、水のながれる音がする。じばし、サイズが固定のまま人が珍しいようにカメラを見たり、台詞をカメラ目線でしゃべる。字幕はもちろんあったのに全然理解できず。
覚えているのは、「神様はつらい、とこのことをお前が本に書く時に書いてくれ」ぐらい
あと、覚えてるのは女とやるときに両方が性器に錠をかけていたこと。ペニスケースを初めて見た。剣や衣装のどこまでが作り物なんだろうということばかり考えていた。それぐらい作り物とも信じがたい世界だった。フィクションは作り手と観客の共有する前提があるから成り立つものではあるが、それは役者ともしかりである。けれど、あの触り方、狂気の生まれ方、叫びと笑いと、ボールドが入ったとは思えない。ロシア語が分かれば分かるというものでもなさそうだ。ただ地獄のような映画に心がいつまでも刻み付けておきたいなと思うだけ。あと娼婦の股に先のとんがった木を刺すという処刑台もでてきた。冒頭に誰かを沼に落とすみたいなシーンがあった。きっとマグマにでも落とすのかというぐらい大げさで叫んで、一体あの液体はなんなんだろうそういう気持ちだ。そんな狂信的衝動木漏れ日を愛でるように、世界の記録であるのだろう。




2014年4月30日水曜日

青春の処女性

スプリング・ブレイカーズ

絶対に見るもんかと思っていたのに、見てしまった。
冒頭からまるで白昼夢、薄暗い夜の学校、飢える女たち、
ビーチで下品に酒を飲み、酒を浴び、酒をカンジ
彼女らは四六時中挿入を夢見る。ヤクをする。胸をさらす。キスをする。
でも挿入はしない。マネだけ。笑い、遊び、感傷にふけ、人を脅し、拳銃を向ける。逮捕され、歌い、叫び、変な声で変なことを言う。

無性にざわざわする。ネオンに血は映えない。言葉に本性は現れない。
人生のほんのひとときの間だけ意味のないことをやりまくる。ここが私たちの本当の居場所。何度もことばがリピートされる。でも挿入はしない。射精もしない。
すべてはプールの水のように清潔、で水色。
ある種純真な欲望。ゆめのよう


ジャック・スミス





ジャック・スミスとアトランティスの崩壊
本当のウォーホル、アバンギャルドの帝王、彼は言う自分がやっているはバロックアートであると、アメリカは本当の美を求めていない、本当に美を求めるのなら、美術館にもっと面白いものを置き、午前4時まで開館させるべきだ。なぜならアートは自由であるべきだから。のちにフェリーニが魂のジュリエッタ、サテュリコンで開花させた色彩の祭典とも言えるあの世界を生み出す上で大きく影響を受けた。そしてピンクフラミンゴをはじめとする、ゲ映画に受け継がれていった。
それがジャック・スミスの理想郷一つを起源とし、それはABBAと合流されることで確かなジャンルを築き上げた。その華やかさのうらには勿論生みの苦しみと表現するには大きすぎる一人の純粋なアーティストとしての苦しみの人生があった。それは母親の愛情の欠如から端を発し、自身のホモセクシャル、インポテンツがあげられる。しかし生来の才能は彼に写真をあたえ、そしてフィルムにそれを結実させる。パレットをそのまま目の周りに押し付けたようなメイク、まるで一つの雑貨屋を体に引っ付けたようなファッション、過剰なまでの性器への執着はむしろ、それを無い物とするかのようだ。性もひとつの時代が押し付ける社会制度であるというように。それは暴力で貶められるものではなく、見せかけというだけで、純粋な感情を汚すまいと何かを守るように、悶えているようだ。とくにジョナス・メカスは彼をいち早く評価するものの彼が逮捕された時に作品の権利を奪った?としてロブスターと憎しみをかっている。そして、ウォーホルも彼の作品に多大な影響を受けるのに派閥の長として資本主義の奴隷として切り捨てられる。ジャックは孤立し、毎日クラッカー一枚とチーズでしのいだという。誰も助けず、彼はエイズに感染して死ぬのがかっこいいとして、ゲイ映画館に通いつめ感染した。入院生活を一日三食食べられるなんて天国のようだと形容している。エンドロールが始まっても彼はそれを遮って自分の終わりを否定する。暖かい拍手がパークタワー映画館を包んだ。これで映画館で聞く拍手は3度目になる。きっとエンドロールを待たずして席を立って背中にしてしまった拍手もあっただろう。でもあの拍手は祝福のようで、出会えてよかった。


2014年4月27日日曜日

ひとりと重力

ゼロ・グラビティ
主人公一人、登場人物二人、死体役と声出演入れても十人と満たない人の少なさで描く宇宙。エイリアンのコピー“宇宙ではあなたの悲鳴は聞こえない”をさらに昇華させたような作品かなとも思ったが、いやあの人をアップで添えての世界の回転はマイケル・スノウを感じさせる。世界を大きくまわし、揺さぶった時の変形は世界を素粒子に分解してかつ、再構成を試みるかのような化学的映像は光を通してそんな世界の軟弱さを魅せているのだ。
dammit!って言いながら引っ張られてストーン博士が、小さいカプセルの中にまるで母親の胎内のように丸くなって回っていくのが、ああ幸せだなと感じた。赤ちゃんは宇宙から来るのかもしれない。一人漂いながらガンジス川の日の出を見たい。隕石のように炎をあげながら地球の表面を突っ切って墜ちてきたものはまた宙を見て帰りたいと思う。一人と宇宙の競演は孤独という充実を教えてくれる。そしてまた生きて行こうと思う。