ジャック・スミスとアトランティスの崩壊
本当のウォーホル、アバンギャルドの帝王、彼は言う自分がやっているはバロックアートであると、アメリカは本当の美を求めていない、本当に美を求めるのなら、美術館にもっと面白いものを置き、午前4時まで開館させるべきだ。なぜならアートは自由であるべきだから。のちにフェリーニが魂のジュリエッタ、サテュリコンで開花させた色彩の祭典とも言えるあの世界を生み出す上で大きく影響を受けた。そしてピンクフラミンゴをはじめとする、ゲ映画に受け継がれていった。
それがジャック・スミスの理想郷一つを起源とし、それはABBAと合流されることで確かなジャンルを築き上げた。その華やかさのうらには勿論生みの苦しみと表現するには大きすぎる一人の純粋なアーティストとしての苦しみの人生があった。それは母親の愛情の欠如から端を発し、自身のホモセクシャル、インポテンツがあげられる。しかし生来の才能は彼に写真をあたえ、そしてフィルムにそれを結実させる。パレットをそのまま目の周りに押し付けたようなメイク、まるで一つの雑貨屋を体に引っ付けたようなファッション、過剰なまでの性器への執着はむしろ、それを無い物とするかのようだ。性もひとつの時代が押し付ける社会制度であるというように。それは暴力で貶められるものではなく、見せかけというだけで、純粋な感情を汚すまいと何かを守るように、悶えているようだ。とくにジョナス・メカスは彼をいち早く評価するものの彼が逮捕された時に作品の権利を奪った?としてロブスターと憎しみをかっている。そして、ウォーホルも彼の作品に多大な影響を受けるのに派閥の長として資本主義の奴隷として切り捨てられる。ジャックは孤立し、毎日クラッカー一枚とチーズでしのいだという。誰も助けず、彼はエイズに感染して死ぬのがかっこいいとして、ゲイ映画館に通いつめ感染した。入院生活を一日三食食べられるなんて天国のようだと形容している。エンドロールが始まっても彼はそれを遮って自分の終わりを否定する。暖かい拍手がパークタワー映画館を包んだ。これで映画館で聞く拍手は3度目になる。きっとエンドロールを待たずして席を立って背中にしてしまった拍手もあっただろう。でもあの拍手は祝福のようで、出会えてよかった。
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