2012年1月31日火曜日

花との睦言


花道の花を初めて感動的なくらい素晴らしいと思った。
自分はメイクをする。服で印象を直直変えたい。欲しいものが多過ぎる。何から手を付けたら良いか分からないくらい貪欲で、甘えん坊で『永遠性に生き続けると思ってる』人なのかも知れない。いつか、裸の等身大の自分で活きようと学んでいる際中だ。

“全ての花が湯けむりの中から私に迫ってくる。
花を活ける場の私は、ひたすら鼻の息遣いに呼吸を合わせ…”

2012年1月16日月曜日

映画は頭を解放する

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー著
出来るはずのない所にできる影は、情感をもっともらしくするのに役立つが、それは突き放したいような情感だ。「風と共に散る」のカメラアングルもほとんど斜めのものばかり。大抵は下からで、物語の違和感が観客の頭の中に生じるのではなくて、スクリーンの上で生じるよう選び抜かれている。ダグラス・サークの映画は頭を解放する。

2012年1月10日火曜日

ミレニアム



スティーグ・ラーソンはスウェーデンのジャーナリスト及び作家。反人種差別主義。
ミレニアム1ドラゴン・タテゥーの女
ミレニアム2火と戯れる女
ミレニアム3眠れる女と狂卓の騎士
推理小説三部作の作者である。同作は彼の処女作にして絶筆作品。2部を書き終えた時点で出版社と契約するもその発売を待たずして心筋梗塞のため死去。当初それは五部作の予定で、かれのパソコンには4部目の4分の3程の下書きがあったそうだが、恋人と結婚していなかったためとかで、彼自身の遺志である出版の目途はたっていない。
第1部の原題 "Män som hatar kvinnor" は直訳すると「女を憎む男」であり、シリーズ全篇を通して、女性への偏見・軽蔑・暴力がテーマとなっている。
本国スウェーデンでは、第1部が出版されるや大変な人気を博し、第1部の刊行から約3年でシリーズ合計290万部を売り上げるベストセラーとなり、「読まないと職場で話題に付いていけない」と言われるほどであった。
消費税などが高い分、北欧では社会福祉が充実している。町並みも綺麗で、その中で繰り広げられるドロドロ・サイコサスペンスに少々面食らってしまう。様々な社会的偏見を扱う作品は多い。そしてそれが国家の機密にも根ざしているものという本作設定は作者自身を危険に陥れるものであったに違いない。まさに映画のまんまだ。

2012年1月9日月曜日

〈夢宮殿〉の職員



アルバニア語の原作のフランス語訳の翻訳という事で読みにくいということは昨日書いた。でも、それから後半ぐらいから段々物語の深みに潜っていってあっという間に読み終えてしまった。本や映画はラストが取り敢えずカオスという印象が多いのに、この作品からは至極ハッキリした主題なりメッセージなりを受け取った気がする。それはきっと作家イスマイル・カダレの個性とアルバニアの独特さの強さだと思う。それを自分の言葉できろくしたい。
ドリーム・パレスというと何か幻想的でメルヘンチックな何かを想像するのではないか。実際、題名の直訳は夢宮殿の職員というものだ。訳者のあとがきにはそのことが妙な想像の回避に繋がるとしている。
全国民の夢を管理するという政府の機関『夢宮殿』新職員マルク・アレムという青年の成長と、彼の特殊な家柄キョプリュリュ家(実際に存在する)の人々の間に起こる壮大な叙事詩。
政府が何故巨民の夢を管理するのかと言うと、それは昔の占いをが政治に占めていた地位を思い浮かべればよい。

そして夢とは
ある個人の私的で孤独な幻である限りは単に人類のかりそめの一局面の表れに過ぎないが、いずれある時期が到来すると、夢はその特殊性を失って人間の他の事実や行為と全く同様に、万人にとってひとしなみに感知できるものとなるだろう。
要するに
植物や果実が一定期間は地中に埋まっていて、やがて表面に現れ出るのと同じく、人間の夢もさしあたり眠りの中に浸ってはいるが、さりとて何時までもそうしている訳ではない。ある日の事、夢は白日のもとに現れ出て、人間の思考、経験、行動の中に、それが本来有すべき場所を占めおおせることとなろう。
そういうことだ。

主人公の少年は夢宮殿にて夢の解読をしていくうちに外の世界の美しさを感じなくなってしまう。そして彼自身の職務により、彼の一族は大きな打撃を受ける。その報復によって、彼自身は昇進し、夢宮殿の中で高い地位を占める事になる。
アルバニアの吟遊詩人が「橋のマーチ」を歌うシーンがある。死んだ敵の墓の上で、その死者に決闘を挑もうとする生者について。
気味が悪い。でもこれこそアルバニア随一の文豪の真骨頂である。少年は悟る。
このうつろな箱こそは自分の所属する民族の魂を納めた胸郭なのだ、

ラストシーン彼は馬車の中でこんなことを感じる。
自分が車のいちばん奥にうずくまっているのは、まさしく身を守るためで、生活の魅力に負けてこの避難場を捨て去ろうものなら、つまり裏切ろうものなら、まさにその瞬間に魔法の力はとけてしまう

恐怖の全体主義への拒否。もはや強迫的とさへ言える民族主義。アルバニアの精神と同時に、これは作者イスマイル・カダレの人生観をも幻想的に表している。
一人の物語は世界全体の物語。
名作なんてどれもそんなところだろう?でも断言できる。こんなに、個性的(としか形容できぬ)かつ神秘的なナショナリズムをみせられた事はない。

訳者の村上さん。読みにくいなんて書いてごめんなさい。訳して頂いてこんなに嬉しかった。

2012年1月8日日曜日

アイらぶ



モルスキ~ん♡
今、ラッキーカラーは赤なんでダイアリーも赤にしちまったぜ
ランドセルみたいwwフィルムジャーナル高かったわー今年この400ページ分ちゃんと見て書いて(もちブログも)本読んで夏休みにはインドに行く事が目標!今日はアルバニアの文豪イスマイル・カダレの『夢宮殿』と格闘致したぁ
いやー読みにくいったらありゃしないよ、多分日本語に辿り着くまで何回も何回も翻訳が繰り返されたんだろな、そこからどうにかしてアルバニアの空気を吸い込みたい、できるとおもうの。明日ファミレスに篭って最後の決戦に挑もうぞパンケーキとドリンクバーがお供じゃ~地球の歩き方はまず置いといて(; ̄ェ ̄)明日には感想を投稿しよう、乞うご期待

2012年1月7日土曜日

パウロ・コエーリョ決意三部作

私が勝手につけた名前で『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(1994年)『ベロニカは死ぬことにした』(1998年)『悪魔とプリン嬢』(2000年)は人は一週間で生き方を変える事ができるという趣旨の3作品のことだ。物語に一貫性はなく自分もばらばらに読んだ。

パウロ氏の小説は読んだら止められないくらいのジャンキー性がある。基本的に話が早くて、驚かされるし楽しい。キリスト教、ギリシャ神話、黒魔術、白魔術、ニューエイジャー、旅、正に怪しいテーマが揃いに揃って、下北系ヴィレヴァン系?の人にとってバイブルと思う。
その、思想的源流から物語をくみ取り本にしてしまうという事が今までになかった事が信じられない。パウロ文学以外に読むべき、取り入れるべきストーリーなんて無いよって言いきってしまいそう。一番好きな『ベロニカは死ぬことにした』は精神病院での出来事だ。余談だが『ノルウェイの森』の直子が入院する病院の描写は神級でしょう?何が凄いって其処に人々が望む全てが入ってる気がするんだ。北の森、霧、草げん、静かな日々、狂っている人にとって普通の人が狂っている。人がそれぞれ皆違うのに、自分の中の狂っているものを認めるのが怖くて他人を真似ようとするそれが狂ってる。
どんな経典だって言っていることはただ一つ。
生きる事。生きる事とは信じる事。
プリン嬢には異邦人の到来が、ベロニカには自殺が、ピラールには幼馴染との再会が生きる事への決意のキッカケになった。
誰もがそれを得られるのか分からない。書かれてない。それが自分に起こる事を3部作は書いているから。