2012年1月9日月曜日
〈夢宮殿〉の職員
アルバニア語の原作のフランス語訳の翻訳という事で読みにくいということは昨日書いた。でも、それから後半ぐらいから段々物語の深みに潜っていってあっという間に読み終えてしまった。本や映画はラストが取り敢えずカオスという印象が多いのに、この作品からは至極ハッキリした主題なりメッセージなりを受け取った気がする。それはきっと作家イスマイル・カダレの個性とアルバニアの独特さの強さだと思う。それを自分の言葉できろくしたい。
ドリーム・パレスというと何か幻想的でメルヘンチックな何かを想像するのではないか。実際、題名の直訳は夢宮殿の職員というものだ。訳者のあとがきにはそのことが妙な想像の回避に繋がるとしている。
全国民の夢を管理するという政府の機関『夢宮殿』新職員マルク・アレムという青年の成長と、彼の特殊な家柄キョプリュリュ家(実際に存在する)の人々の間に起こる壮大な叙事詩。
政府が何故巨民の夢を管理するのかと言うと、それは昔の占いをが政治に占めていた地位を思い浮かべればよい。
そして夢とは
ある個人の私的で孤独な幻である限りは単に人類のかりそめの一局面の表れに過ぎないが、いずれある時期が到来すると、夢はその特殊性を失って人間の他の事実や行為と全く同様に、万人にとってひとしなみに感知できるものとなるだろう。
要するに
植物や果実が一定期間は地中に埋まっていて、やがて表面に現れ出るのと同じく、人間の夢もさしあたり眠りの中に浸ってはいるが、さりとて何時までもそうしている訳ではない。ある日の事、夢は白日のもとに現れ出て、人間の思考、経験、行動の中に、それが本来有すべき場所を占めおおせることとなろう。
そういうことだ。
主人公の少年は夢宮殿にて夢の解読をしていくうちに外の世界の美しさを感じなくなってしまう。そして彼自身の職務により、彼の一族は大きな打撃を受ける。その報復によって、彼自身は昇進し、夢宮殿の中で高い地位を占める事になる。
アルバニアの吟遊詩人が「橋のマーチ」を歌うシーンがある。死んだ敵の墓の上で、その死者に決闘を挑もうとする生者について。
気味が悪い。でもこれこそアルバニア随一の文豪の真骨頂である。少年は悟る。
このうつろな箱こそは自分の所属する民族の魂を納めた胸郭なのだ、と
ラストシーン彼は馬車の中でこんなことを感じる。
自分が車のいちばん奥にうずくまっているのは、まさしく身を守るためで、生活の魅力に負けてこの避難場を捨て去ろうものなら、つまり裏切ろうものなら、まさにその瞬間に魔法の力はとけてしまう
恐怖の全体主義への拒否。もはや強迫的とさへ言える民族主義。アルバニアの精神と同時に、これは作者イスマイル・カダレの人生観をも幻想的に表している。
一人の物語は世界全体の物語。
名作なんてどれもそんなところだろう?でも断言できる。こんなに、個性的(としか形容できぬ)かつ神秘的なナショナリズムをみせられた事はない。
訳者の村上さん。読みにくいなんて書いてごめんなさい。訳して頂いてこんなに嬉しかった。
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